文芸共和国の会

考えるためのトポス

第6回「文芸共和国の会」@広島開催のお知らせ

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お久しぶりです。世話人の逆巻しとねです。

早いもので、本会も6回目の開催となります。広島ももう2回目ですね。これもひとえに開催を裏から支えてくださるみなさんと、毎回顔ぶれの異なる参加者のみなさんの、人文学に対する熱意の賜物であると思います。

学会や研究会のような場所に行ったことのないという人、心配ご無用です。難しい内容であってもほんの一端でもわかればいいし、その一端から世界への見方が変わるかもしれません。なんらかの研究者でも異なる専門分野を前にすれば、初学者であることに変わりはありません。専門家も時には専門の外に出て、自分の知見を根本から見直さないといけません。それまで思いもよらなかった発想は、内側から湧き上がってくるのではなく、いつも外からやってきます。

参加者の顔ぶれは毎回変わります。懇親会では毎回自己紹介しているようなありさまですから。ですので、まとまったひとつの団体であるというよりは、ばらばらのバックグラウンドをもつ人がひとつの場に集まっている、とお考え下さい。

とはいえ、偉い先生のお話を拝聴しにくる、という態度は巌に慎んでください。壇上にいようとフロアにいようと、参加者それぞれが考える主体です。年齢も性別も地位も関係なく、専門家の発表をとっかかりとして一緒に議論しながら考えるための場です。もちろん、発言しない自由はあります。強制はしません。しかしそれでも、自分も考える主体であるという点だけは忘れないでください。

予習をしてもいいし、しなくてもいい。会が終わったあと、関心を持ったところから学び始めてもいい。みなさんが今回の会に参加することで、なにかを考え、学び始めるきっかけになったとすれば、これ以上の僥倖はありません。

当日、お会いしましょう。

 

 

本会はそれぞれ専門を異にする研究者どうしが専門の垣根を維持したまま対話すると同時に、アカデミアの閉域を超えたところで市民どうし人文知を共有していくことを目指す場です。学者だけの場所である学会・研究会でも、学者が市民に対し講義をする市民講座でもない、学者と市民が共に同じフロアにおいて思考するアゴラ(広場)です。会員制ではありません。入退出自由、参加無料です。ふるってご参加ください。

(※本会の基本理念に関しては下のリンクを参照してください)

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※ポスター、梗概、ハンドアウト等順次公開していきます。

※本会メーリングリストでは、運営方針や具体的な開催の構想その他について闊達な議論が行われています。現在のところ、海外、全国津々浦々より、学者/市民、先生/学生の区別なくさまざまな方々に参加いただいております。メーリングリスト参加をご希望の方は「vortexsitoneあっとまーくgmail.com(逆巻)」までお願いします。

 

 

 

  第6回「文芸共和国の会」を以下の日程で開催します。

 

日時: 2017年 6月24日(土) 13:00~17:30

会場: 広島経済大学サテライト立町キャンパス132号室   

       (広島市中区立町2-25  IG石田学園ビル) 

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【JR広島駅から】路面電車広島電鉄)1、2、6番系統に乗車し「立町」駅下車、徒歩1分。所要時間は約15分。

 

※会終了後、18:00~広島市内において懇親会を開催します。振るって参加してください。参加費は4000円程度を見込んでいます。学生・院生の方はその半額ぐらいで参加できるよう配慮するつもりです。参加希望は、6月10日までに逆巻(vortexsitone@gmail.com)までお知らせください。 

 

(13:00~10分ほど趣旨説明)

 

① 13:10~15:10

 国家と南部に揺らぐ作家の苦悩

1940年代におけるウィリアム・フォークナーの創作活動の軌跡

               吉村 幸 (アメリカ文学

 1950年にノーベル文学賞を受賞したアメリカ人作家ウィリアム・フォークナー(William Faulkner)の1940年代は、傑作と称される作品群を産出した1920年代から1930年代と比較して多作の時期とは言えないが、激動の時代を迎えたアメリカ社会と相まって大変興味深い時代である。アメリカ南部ミシシッピ州に生まれた素人詩人として出発したフォークナーは、最初の長編小説『兵士の報酬』(Soldier’s Pay 1926)を書き上げ、その後にはフォークナーの「最初の傑作」(平石11)である『響きと怒り』(The Sound and the Fury 1929)を執筆した。さらにフォークナーは『死の床に横たわりて』(As I Lay Dying 1930)、『サンクチュアリ』(Sanctuary 1931)、『八月の光』(Light in August 1932)などの作品を書き上げ、ついに「二十世紀文学における最高傑作」(諏訪部332)とも評される『アブサロム! アブサロム!』(Absalom, Absalom! 1936)を執筆した。ところが傑作とされる上述したフォークナーの作品群は『サンクチュアリ』を除いていずれも芳しい売り上げを記録してはおらず、1940年代にはサンクチュアリを除くほぼすべての小説は絶版状態になっていた。作品の売り上げの伸び悩みに加え、友人や家族への援助、不動産への投資などが原因となり、1940年代初頭のフォークナーは経済的に困窮することになり、金銭の工面を自身の編集者らに懇願しているような有様であった。その頃のフォークナーは短編を執筆しては出版社に送りその場しのぎの金稼ぎを繰り返していたが、どうしても金に行き詰るとハリウッドに出向き映画のシナリオライターとして食いつないでいた(金澤 25)。ところが1946年のマルカム・カウリー(Malcom Cowley)による『ポータブル・フォークナー』(The Portable Faulkner)の出版を皮切りに、フォークナーの知名度は上がり作品に対する再評価の波が起こる。絶版となっていた小説が次々に再版されフォークナーは経済的にも安定し、1950年にはノーベル文学賞を受賞するまでにその名声を轟かすことになるのである。
 このようにフォークナーという作家をとりまく状況と評判は1940年代に一転している。これらフォークナーを取り巻く事象を踏まえて、本発表はアメリカ合衆国第二次世界大戦と東西冷戦という二つの戦争によって大きく揺れ動いた1940年代を研究の対象とし、当時のアメリカ社会のコンテクストに照らしてフォークナーの作品群を読み直すことで、比較的関心の薄れるフォークナーの後期の作品群から新たな解釈を生み出すことを目的とする。とりわけ『アブサロム! アブサロム!』を書いた後のフォークナーはハリウッドにおいてワーナー・ブラザーズ(Warner Brothers)と結んだ映画脚本執筆の契約に苦しめられ、最も多作であった初期や中期のころと比べて作品の数は少なく、後期の作品群は初期や中期ほどの出来栄えであるとは言えないだろう。一方でフォークナーの後期の作品群あるいは作家が経済的困窮から脱出するために産出された作品からは、ノーベル文学賞を受賞し国家を代表する作家となる過程において悶え、苦しみ、それでも自分が真に書きたいものを最後まで捨てきれずに葛藤するフォークナーの姿が読み取れる。その葛藤する様は1940年代、ひいてはフォークナーの後期の作品群に多様な解釈の余地を生み出していると思われるのである。そのようなフォークナーの人間味あふれる1940年代の創作活動の軌跡を辿ることで、激動の時代と世界情勢に揺れる国家とその中の南部作家、そして普遍的な人間の姿を描きだす小説の面白さを炙り出していく。

                   【引用文献】
金澤哲.『フォークナーの「寓話」― 無名兵士の遺したもの』あぽろん社.2007年.
諏訪部浩一.『ウィリアム・フォークナーの詩学1930-1936』松柏社.2008年.
平石貴樹.『メランコリック・デザイン―フォークナー初期作品の構想』南雲堂.1993年.

 

② 15:30~17:30

 「悲劇の快」と物語的期待:ヒュームの洞察

       萬屋 博喜 (哲学/デイヴィッド・ヒューム
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  本報告の目的は、美学における伝統的問題の一つである「悲劇の快のパラドクス」を取り上げ、それに対するデイヴィッド・ヒューム(1711-1776)の解決策がどこまでの説得力をもつのかを検討することにある。
 絵空事にすぎないとわかっているにもかかわらず、なぜわれわれは悲劇を観るために喜んで劇場へと足を運ぶのだろうか。また、現実に起きたとすれば苦痛で不快に感じる出来事でも、それがフィクション世界の出来事であれば娯楽として受け入れられることがあるのはなぜなのか。これが、美学において悲劇の快のパラドクス(デュボス問題)と呼ばれてきた伝統的問題である。そこで主に問題とされてきたのは、悲劇を描いたフィクションのキャラクターや出来事に対して鑑賞者が抱く「快」の情動は、いったいどのような種類の心的状態であり、どのようにして生じるのか、ということである。
 以上の悲劇の快のパラドクスについては、さまざまな定式化が可能である。その一例を挙げれば、次のようになるだろう。
 (1)『リア王』の鑑賞者は、上演中に悲しい思いをすることがわかっている。
 (2)ある人が何らかの対象について悲しい思いをすることがわかっているとき、その人はその対象を避けようとするはずである。
 (3)『リア王』の鑑賞者は、喜んで劇場へと足を運ぶ。
これらの(1)~(3)はそれぞれ直観的にもっとものように思われるが、すべてが同時に真であると考えると矛盾が生じる。そのため、このパラドクスを解決するためには、(1)~(3)のうち少なくともどれか一つを否定する必要があることになる。このパラドクスに対して、ヒュームは「悲劇について」というエッセイで次の解決策を提示している――悲しい思いをするのがわかっているとしても、悲劇への物語的期待が満たされれば、われわれは悲劇の快を受け取ることができる。こうしたヒュームのアイデアには、どのていどの説得力があると言えるのだろうか。
 本報告の流れは、以下のようになる。まず、悲劇の快のパラドクスを定式化した上で、それに対するヒュームの議論を概観する。次に、ヒュームの議論に対して向けられる反論を検討したのち、ヒュームの議論の可能性と限界を明らかにする。最後に、時間の許すかぎり、『リア王』や『誓い』といった作品を例にとりながら、ヒュームの議論が具体的な作品に対してどのていどの説得力をもつのかを検証する。

                  

                  【参考文献】

・D. ヒューム『道徳・政治・文学論集』田中敏弘訳(名古屋大学出版会、2011)
  ⇒「悲劇について」の翻訳
・R. ステッカー『分析美学入門』森功次訳(勁草書房、2013)
  ⇒Chapter8
・西村清和(編)『分析美学基本論文集』(勁草書房、2015)
  ⇒第4章(K. ウォルトン「フィクションを怖がる」)
戸田山和久『恐怖の哲学』(NHK出版、2015)
  ⇒第7章
・西村清和『フィクションの美学』(勁草書房、1993)
  ⇒第4章