文芸共和国の会

考えるためのトポス

第二回「文芸共和国の会」レヴュー

 

 5月21日(土)に開催した第二回「文芸共和国の会」@徳山工業高等専門学校

第二回 「文芸共和国の会」開催のお知らせ - 文芸共和国の会)について報告します。まずわたし逆巻しとねの個人的な感想を、次に発表者お二方の感想を掲載します。ご高覧ください。

 

 学会や運動会などさまざまな行事が重なる時期ということもあり、参加者は少なかったように思います。それでもそれを補って余りある活発な議論が行われたのではないでしょうか。わたし自身、ファシリテーターとしてどの程度貢献できたかは心もとないところです。しかしみなさんのご協力のもと、懇親会も含めて大変活発で楽しい会になりました(そのためか、今回は、会の模様を伝える写真を撮影するのを失念しておりました)。

 高橋愛さんには、ハーマン・メルヴィルの長編小説群を中心に男らしさについて論じていただきました。男性向けの作品を書いていると自認していたメルヴィルですが、どうも作品のなかに出てくる登場人物に規範的といえる男性は見当たらない。19世紀ミドルクラスが規範としていた男らしさを、対子ども、対女性、身体性の観点から整理したうえで、『タイピー』、『白鯨』、『ピエール』などの作品に出てくる男性像の奇妙さを分析していただきました。質疑応答では、規範性と抵抗の問題、プロステーシス、陸と海の規範の二重性、出版事情、ジェンダーセクシュアリティの関係、テクノロジーとの関連などさまざまな意見が交換されました。高橋愛さん自身が書いてられるように、「作家論とはなにか」という大きな問題に踏み込めなかったのはわたしのファシリテーターとしての力量のなさです。今後の課題としたいと思います。

 高橋さきのさんには翻訳論についてのご発表と『研究社大和英辞典』を利用した訳し分け方に関するワークショップをしていただきました。休憩時間との境目がなくなるほど、対話の途切れることのない大変刺激的なご発表でした。ワークショップでは、そのまま英語教育その他の現場に採用したり、作業の主体にあわせていろいろ応用したりできる、用例カードを用いた訳し分けをグループワークで実践しました。実際にやってみるとよくわかるのですが、意見が割れる箇所がかならず出てくる。重要なのは答えを見つけることではなく、意見が割れる分類不可能と思われるような箇所をきっかけにして言葉の運用について議論し、考え直すことでしょう。昨今流行りのアクティヴラーニングの文脈においても「使える」実践例だという点も強調しておきたい部分です。

 ※高橋さきのさんのご発表内容の一部は、最新の共著『できる翻訳者になるために プロフェッショナル4人が本気で教える 翻訳のレッスン』講談社)に収録されています。他の著者お三方の論や対談も含め、翻訳、ひいては言語そのものを基本から、そして根源的に再考する上でよい手引きとなると思います。

 

 さて、次回の第三回「文芸共和国の会」は

日時:平成28年9月11日(日曜日)13:00~18:00
場所:サテライトキャンパスひろしま
http://www.pu-hiroshima.ac.jp/site/satellite/accessmap.html

で行います。

 詳細はまだ詰まっていませんが、すでに発表者はひとり決定しております。

 文学系以外を専門とする発表者を募集中です(本会に会員は存在しませんので気兼ねなく)。読書会で代替する案も並行して考えております。詳細が決まり次第、このHP上で公表します。

 次々回(第四回)は、11月上旬から中旬の週末のいずれかにおいて、福岡県の九州工業大学戸畑キャンパスで開催する予定です。二名の発表希望者を広く募っております。

 

※本会の理念・概要等については

republicofletters.hatenadiary.jp

をご覧ください。

 本会メーリングリストでは、運営方針や具体的な開催の構想その他について闊達な議論が行われています。現在のところ、海外、全国津々浦々より、学者/市民、先生/学生の区別なくさまざまな方々に参加いただいております。メーリングリスト参加をご希望の方は「vortexsitoneあっとまーくgmail.com(逆巻)」までお願いします。

 

以下、発表者ご本人の感想を掲載します。

                                  文責:逆巻しとね

 

                第2回研究会を終えて

                                       高橋愛

 まずは参加者の皆さん、新年度開始の慌ただしさもまだ残るなか(近年の教育機関をめぐる状況を鑑みると、ゆとりのある時期はもはやないのかもしれませんが…)、アクセスが良いとは言いがたい会場までお越しくださり、ありがとうございました。
 1つ目のセッションにおいて、「ハーマン・メルヴィルの小説における『男らしさ』からの逸脱」と題し、メルヴィルの散文作品における「男らしさ」の表象について発表をいたしました。学位論文を圧縮したために丁寧な議論ができていない部分が多々あったこと、さらに、持論展開型の発表であったことから、私の発表は、専門家どうし、あるいは、専門家と市井の対話を重視しようという「文芸共和国の会」の趣旨にはそぐわないものであったと思います。そのような発表であったにもかかわらず、ファシリテーターの逆巻さんはじめ参加者の皆さんからは、様々な質問や意見をいただき、建設的な議論をしていただきました。討論では、メルヴィルが抵抗や逸脱を試みたとする「男らしさ」の規範をテクストの外部から読みこもうとしているという指摘を複数の方から受けました。こうした指摘により、自分のテクスト解釈の偏り、あるいは、論者としての自分の「欲望」と向き合い、テクストを読む際に取るべき姿勢を見直すことができたと感じています。
 本セッションに関して悔やまれる点を述べるとすれば、作家論の陥穽──作家の「成長」や「進化」を前提としてしまう傾向──についての議論ができなかったことです。何を論じれば作家論になるのか──この問いは、もとの論文をまとめている段階から私の中にあり、結局は答えを見出しきれずにいるものです。準備段階で指摘を受けていたこともあり、個人的にはこの点について議論を深めることを期待していました。発表内容について質問や意見をいただけるのは研究者として非常にありがたいことではあるのですが、むしろ今回は、作家論の陥穽にはまってしまった私の発表をとっかかりとして、作家論について参加者の皆さんの見解をうかがえたらよかったと感じています。次回以降に作家論が取り上げられた際には、この問題について提起させてもらえれば幸いです。

 

                                       高橋さきの

 参加者の共通関心である「ことば」をめぐる議論を喚起する目的で、今回は、原点に立ち返っての「翻訳とは何だろう」という提起と、少し変わったかたちでのワークショップを行いました。
 まず、前半の議論ですが、一般的には、翻訳というのは「内容を原文言語から訳文言語へと移す作業」のことだとされているわけです。でもこれでは通訳の作業と区別がつかないため「書かれた文章から書かれた文章へ」という限定が付け加えられることも多く、そうすると今度は手話が含まれなくなってしまいます。こうした事情にかんがみ、1)もっと原理的な定義が必要であり、2)「原文が生産された現場とは別の現場(翻訳現場)で訳文が生産され、その訳文は翻訳現場とは別の現場で使われる」側面に注目した定義が必須だという提起を行いました。こうした側面に着目すると、翻訳時の「原文の想定読者の目で原文を読み、訳文を作成し、想定読者の目で訳文を読む」という3つの現場の眺めを擦り合わせての訳文作成作業が可視化できますし、原文を原文の想定読者が読んだときに思い浮かべる絵/動画と、訳文を訳文の想定読者が読んだときに思い浮かべる絵/動画をなるべく一致させるといった現場知をめぐる議論もしやすくなります。
 後半は、「訳文」を具体的に検討するワークショップを行いました。といっても課題文を訳してみるという通常のものではなく、一つの文に対して、ありうる文脈を列挙してみて、その場合のありうる訳について考えてみるという方向性です。具体的には、研究社『新和英大辞典第5版』に実際に載っている訳例(対訳)をカード形式として配布し、それらを分類してみるという作業を行いました。今回着目したのは、mostの無冠詞形容詞としての用例約50個です。それを、mostの部分が原文で持っている情報が訳文でどう訳出されているかに着目して実際に分類(カードを山に分ける)する作業をグループ単位で行ったのですが、各グループともとても楽しそうで、議論も盛り上がったようです。訳例掲載にあたって強い制限のかかる辞書であっても訳例には大きなバラエティがあることを体感できたと思います。今後につながる経験になったでしょうか。