文芸共和国の会

考えるためのトポス

12/1 第12回文芸共和国の会シンポ「性とモノ」(無料)

※ 11/30にはトマルビルでプレイベントとして菅実花アーティスト・トークが開催されます。

 詳細は↓

republicofletters.hatenadiary.jp

※ 各発表の概要を追加しました(11/08)

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※公費申請用プログラム

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※ 19:00~、鹿児島市内にて懇親会を開催します。会費は一般4.000円・学生2,000円(人数次第で学生の会費はできるだけ無料に近づけます)。出席希望はvortexsitone@gmail.com(逆巻)に11/17までにお知らせください。領収書が必要な方はその旨、併せてお知らせください。

 

※文芸共和国の会メーリングリスト登録希望者は、逆巻(vortexsitone@gmaiil.com)まで「氏名」と「専門 or 関心領域」を明記の上、ご一報ください。本会の趣意に賛同いただける方であれば、資格は不問です。

 

第12回文芸共和国の会シンポジウム

 

「生が、性が、モノモノしい」

                      ――Bio-diversity is Materializing――

 

(予約不要/誰でも参加自由/無料/途中入退場自由)

 

日時: 2018年12月1日(土) 12:00~18:00 (プレゼン終了後、参加者全員で対話)

会場: 鹿児島大学 郡元キャンパス 法文学部1号館 102号室

  (〒890-0065 鹿児島県鹿児島市郡元1丁目21−30 ℡ 099-285-7517)

  鹿児島中央駅から鹿児島大学法文学部までの経路案内→Google マップ

  キャンパスマップ(会場=64番)https://www.kagoshima-u.ac.jp/about/map2018-korimoto.pdf

問い合わせ先: 太田純貴(鹿児島大学
       【e-mail】yota@leh.kagoshima-u.ac.jp
       【TEL】099-285-7576

 

出演: 菅 実花    (アーティスト)

    藤田 尚志    (フランス哲学)

    関根 麻里恵 (ラブドール研究)

    猪口 智広    (科学論・動物論)

  

 

性とモノとバケモノ(仮題)

                                       藤田 尚志
 
 「あの人をモノにする」とき、人はモノに化ける。愛と性、情動と経済の関係をどう考えるべきか。マルクスは『資本論』第一部草稿において、明らかに「物象化」を批判的に考察しており、例えば皮革や靴型などの生産手段が靴職人を「使用する」という事例において、モノは或る種の主体性・能動性を帯びる。「モノ(Sache)と人(Person)とのこのような転倒(Verkehrung)、したがってその資本主義的性格」を精確に見て取っている。だが、モノと人格の転倒が問題なのではなく、それが「資本主義的性格」、つまり「所有」のパラダイムのうちで行なわれていることに問題があるのだとしたら?
 「人のモノ化」というマルクスの問題系を、「脱=所有」のパラダイムにおいて最も前進させたのは、フランスの特異な文学者・思想家ピエール・クロソウスキーの小説『歓待の掟』および思想的エッセイ『生きた貨幣』である。「生きた貨幣」とは端的に言えば、労働の支払いとして使用権を差し出された人間の身体である。「それは、情欲の源泉である生きた対象を、飼育の次元に、種馬飼育場の次元に貶めることだ」、人間の身体や情愛を経済的尺度で評価することは許されない(動物の身体や情愛ならば許されるのだろうか?)という異論もあろう。だが、情欲の対象たるアイドルやスターの視聴覚的美点の数々を、いやもっと一般的に私たち労働者の生産能力を――「人材開発」「ヒューマン・リソース」という言葉が一般化して久しい――、収益性や維持費の観点から、数量的に表現しているのは、現代社会を支える当の産業主義そのものではないのか。死んだ貨幣に対置された「生きた貨幣は逆に、習慣の中に根を下ろし、経済的諸規範の中で制度化された金本位制の、その金の役割に取って代わる力を持つだろう。ただし、その新しい習慣は、交換行為の数々とその意味を、深く変えずにはいないだろうが」。そのとき、「人間の尊厳は手つかずのまま残されており、金銭はその価値のすべてを維持している」。これはバケモノ的なことだろうか?
 当日は以上の議論をより詳細に詰めることになるかもしれないし、別の著者たちを扱うことになるかもしれない。というのも、「脱=所有」「共有」の方向へ進もうとする新たな読解は、意識・主体・個人・人格といった哲学の主要概念の捉え方も変更せずにはおかないからである。その意味では、未だに愛・性・家族の領域において本格的に扱われたとは言えない哲学者たち、例えば現代フランス哲学者ジルベール・シモンドン――鹿児島大学の近藤和敬が訳者の一人となって、主著『個体化の哲学』の翻訳(法政大学出版局、2018年)が刊行されたばかりである――や、『理由と人格――非人格性の倫理へ』という大著(勁草書房、1998年)を刊行したアメリカの哲学者デレク・パーフィットが当日取り上げられたとしても大きな驚きはないだろう。

 

ラブドールは異人か隣人か

――ヒトとラブドールの関係性を検討する


                                      関根 麻里恵

 

 菅実花が産み落とし、世に送り出した「未来の母(=妊娠するラブドール)」は、古今東西で描かれてきた人工的身体や人工生命をテーマにした作品群がほとんど達成し得なかったことを成し遂げたと言えるだろう。それは、昨今のテクノロジーの進化によって実現するかもしれない、モノによるヒトの「再生産(=生殖)」である。鑑賞者は、まるで本当にラブドールが妊娠したかのような反応――女性が産む身体から解放されるといったポジティブなものから、神への冒涜、女性の尊厳を侵害しているといったネガティブなものまで――を起こし、インターネット上でもさまざまな意見が飛び交った。
 菅が提示した「未来」は、限りなく現実味のあるフィクションだ。しかし、現実のラブドールは万能ではない。むしろ、助けを借りなければ動くことすら困難な、非常に心もとない存在だ。岡田美智男がいうところの「弱いロボット」に近い。ロボットの存在が完全・完結したものではなく不完全・不完結だと捉え、ヒトから助力を引き出すことでヒトとロボットがコミュニケーションをとっているかのように感じられるラブドールとのコミュニケーションも同様のことが言えるのではないだろうか。
 本発表では、いわゆるセクサロイド化するラブドールからは敢えて距離をとる。なぜならば、ラブドールセクサロイドではコミュニケーションのとり方が異なるうえに、人工知能などのテクノロジーと結びつくことで、畏怖や脅威の対象(モノモノしいモノ)として語られてしまうからだ。
 想像力を掻き立てられる豊穣な素材であるがゆえに、置いてけぼりになってしまったモノモノしくないラブドール。それらとの対話の仕方は、非常に素朴で誰しもができうるものである。そのことにいま一度着目し、「親密性(intimate relationship)」をキーワードにヒトとラブドールの関係性について議論を展開していきたい。

 

サイボーグの神話、堆肥の寓話

ーーハラウェイから異なる身体を想像する

                                       猪口 智広

 「われわれはサイボーグである」というメッセージには、確かに一種の預言のような希望を感じさせるものがある。「サイボーグ宣言」(1985)においてダナ・ハラウェイは、人間/動物、有機的なもの/無機的なもの、物理的なもの/非物理的なものといった区分の崩壊を指摘しつつ、来たる情報の時代における女性のアイデンティティサイエンス・フィクションに登場するサイボーグに見出した。情報技術やバイオテクノロジーの発展が実現する中で、技術的人間あるいは「ポスト人間」をめぐる議論の拠り所として「サイボーグ宣言」は頻繁に引用され続けている。
 しかしながら、ハラウェイ自身がたびたび述べているように、この「宣言」は生体と機械の融合や人間の超克についてのユートピアを掲げるものではない。むしろ人間概念を適切に批判するために、偏愛と恐怖という二極的な反応のどちらでもないような、技術への異なるまなざしの希求なのである。こうしたまなざしは、近年ハラウェイが関心を向けている動物や環境といった題材についての議論における非人間存在への視線にも通底するものでもある。
 その一方で、妊娠するラブドールという題材は、ハラウェイの論じるような非人間存在の要件をすんなりと満たすわけではない。むしろそれが体現する性質のゆえに、ある種の緊張関係すら見出しうる可能性がある。本発表では、ハラウェイが近年の著述におけるアートやフィクションの持つスペキュラティヴな語りの可能性を手がかりとしながら、ヒトならざるモノ存在へのハラウェイの議論の射程、そして表象への評価について、検討を試みたい。

 

※本シンポジウムは、平成30年度・鹿児島大学地域連携予算「鹿児島と芸術文化」(南九州・南西諸島を舞台とした地域中核人材育成を目指す新人文社会系教育プログラムの構築」)の助成を受けています。

 

文芸共和国の会は、学術的出会いの場を広島以西の地方に、2016年2月に8名の有志の協賛により立ちあげられた会です。これまで広島、山口、北九州、博多で順次開催されてきました。

しかし「会」とはいっても、馴染みの仲間が集まる内輪の相互扶助の「会合」ではなく、もっぱら今まで会ったことのない知や人と「出会う」ための会です。地元の方を中心に、学者/市井の隔てなく、共に学術のおもしろさや価値をわかちあいます。難しくてよくわからないけどおもしろい、というところから学術への関心は始まります。無知も失敗もすべて許容しつつ、学術への関心とその場で投げかけられる問いを一緒に育てていく場です。同時に、この会は、ときには読書会が、またあるときには共同研究が始まるきっかけとなる場所でもあります。

さて、鹿児島での初めての開催となる今回のテーマは、「モノと性」です。

杉田水脈議員による「LGBTには生産性がない(生殖をしないの意」という発言、さらには遡って柳澤伯夫厚生労働大臣による「女は産む機械」という発言を思い出してみましょう。多くの人がこれらの発言に反発しました。しかし国民を人口動態や出生率で計算する国家の観点から見れば、これらはある意味、当然とも言える考え方ではあります。国家にとって国民は税収を頂点とするさまざまな統計的数字の操作のための頭数でしかないからです。しかし、彼ら国民の代議士も国民もおそらく見落としているのは、LGBTであるなしにかかわらず生殖をしない人の存在であり、産ませる機械としての男の存在です。すべての人間がモノ扱いされているところから始める必要があるでしょう。

では、人間をモノ扱いする行為に対してなぜ人は怒りを覚えるのでしょうか。それは人権を蹂躙しているからでしょうか。道徳観を踏みにじるからでしょうか。人間にはモノとは異なる特別な価値があるからでしょうか。 

しかし、家族と同じようにペットを愛する人がいます。動物はモノではない、とおっしゃる方もいらっしゃるかもしれません。もっとも、動物はおろか、二次元のキャラに恋したり、プラモデルを親兄弟よりも慈しんだり、エッフェル塔と結婚したりする人がいるという事実をどう考えたらよいのでしょうか。愛情を傾けることができるものであれば、それは人と同じように愛する対象となりえます。とはいえ、わたしたちは、動物やモノに人権や人間らしさを感じているから愛しているわけではないでしょう。人権を認めることと愛すること、ひいては性愛の対象とみなすこととのあいだには大きなギャップが存在しています。対象に与えられるもっともらしい地位より先に、愛や欲望は対象めがけてほとばしるのです。

とりあえず認めてしまいましょう。わたしたち人間は常にモノ扱いされうる存在である、と。古代ギリシャ・キニク学派の哲学者ディオゲネス(412?-323B.C.)は、「自分が死んだら死体は埋葬せず、どこかに放置して欲しい」と言ったといいます。人間の死体は、ただのモノ(自然の一部、腐った肉)に過ぎない。生きている人間もモノです。DNAやRNA、合成されるタンパク質、それから細胞によって構成され動的平衡を形成する消化器系、生殖器系、循環器系、筋骨格系、神経系は、すべて生体物質(living substance)に由来します。ロボットのような非生物とは異なるメカニクスを有する生物といえど、その命が物質に根差している点は疑いようもありません。この意味において、人間はモノである。

すると人間をモノとは異なる存在として前提する道徳的・人道的評価基準の外には、人間も動物も石もロボットも空気や水でさえも、すべて等しくモノとして捉えうる広大な荒れ野が広がっていることになるでしょう。この宇宙の存在はすべてなんらかのモノである。

あなたの愛する人が虫けらのように殺されたとき、あなたは非人道的な行為だと憤るでしょう。あるいはあなたの恋人に対する愛撫を、相手はまるでモノのように扱われたと感じることもあるかもしれません。これらは実に人間らしい感情です。しかしその感情は本当に倫理的だと言えるでしょうか。なぜあなたは自分の愛していない誰かが知らないところで虐待されているのに怒らないのか? さらにはこうも問うべきでしょう。なぜあなたは恋人を大切にするのに、目の前の石ころを蹴とばす権利があると思うのか? 猫は殴らないのに、段ボールならば叩いてもよいのか? あなたは自分がモノ扱いされたり、大切な何かがぞんざいに扱われることに憤るのに、なぜすべてのモノを大切に扱わないのか? 

人に対する扱い、とりわけ性にまつわる事柄を非人道的な「モノ扱い」という観点から非難するのを思いとどまることによって、モノをどう扱うのかという根源的な問いは始まります。たとえば、しばしば性欲処理の道具というレッテルを貼られることの多いラブドールに対する態度は、現実の人間に接するときよりも慈愛に満ちたやさしいものなのではないか。もしかしたら、傷つきやすく繊細な扱いを要求するラブドールからモノに対する態度を再考することは可能なのではないか。よそよそしく正しい規範を要求する人道的・道徳的な「人間扱い」よりも遥かに親密で倫理的な関係が「モノの扱い」から見えてくるのではないか。LGBTには生産性がない、女は産む機械だ、というような発言、DV・レイプを始めとする性暴力、性別にかかわらないセクハラにわれわれが怒るのは、人間がモノとして扱われているからではなく、等しくモノとして存在しているはずなのにその一部に対する扱いがどこか不当だからなのではないでしょうか。モノとしての平等を基礎として、性、ひいては生の多様さと特異性を、モノの扱いから学ぶとき、差別や暴力と対峙し、離散化する世界を生きる上でのひとつの別解を得ることができるのではないでしょうか。

今回の登壇者は4人です。

アンリ・ベルクソンを始めとする本流のフランス哲学の専門家として知られ、最近では現代的な問題に根差した愛・性・家族の哲学を展開する藤田尚志さん。

ラブドールを被写体にし、妊娠するアンドロイドの写真連作を発表しているアーティスト・菅実花さん。

ヒト型の性具とのかかわりから人間の性愛観の変容を研究している関根麻里恵さん。

生物学史家ダナ・ハラウェイの一連の著作を紐解きつつ科学技術や動物と人間との関係を問い続けている猪口智広さん。

まったくの異分野どうしの専門家を突き合わせ、そのあいだに対話の可能性をひらくのが文芸共和国の会の最大の特色です。登壇者の発表には、「性とモノ」というテーマと、菅実花さんの一連の作品、およびそれに関連したテクスト・インタヴュー記事への言及の他に制約は一切かけていません。登壇者たちの問いが一堂に会するとき、それはどのような模様を描くのか。それを考えるのは登壇者でもわたしでもなくみなさんです。登壇者を含め、参加者全員で車座を組み、四者四様の発表内容をベースとして3時間の議論を行います。

わからないけどおもしろい。学びがはじまる場にようこそ。

11/30 菅実花アーティスト・トーク(有料)

文芸共和国の会 プレイベント 菅実花アーティスト・トーク

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12/01の文芸共和国の会シンポジウムのプレイベントとして、オリエント工業ラブドールを題材にした写真連作「ラブドールは胎児の夢を見るか?」(2014-)で知られるアーティスト・菅実花さんのアーティスト・トークを開催します。菅さんにこれまでの制作歴、着想源・コンセプト、制作過程、展示へのこだわりなどについてたっぷり語っていただきます。
トークのあとには質問する時間も設けます。
鹿児島の皆さん、お気軽にどうぞ。

 

mikakan.com

日時   11/30(金) 19:00~21:00 (18:30開場)
場所   トマルビル 地下ギャラリー/ホール

               https://www.facebook.com/tomarubldg0701/
     〒892-0822 鹿児島県鹿児島市泉町1−8 
     市電電停いづろ通下車 そうしん本店のとなり

www.google.co.jp

聞き手   逆卷 しとね (学術運動家)
主催   文芸共和国の会

入場料  一般1,000円 院生・学生・生徒200円
      (予約なし来場は、各1,500円/500円)

予約方法  vortexsitone@gmail.com(逆巻)宛てに、
      件名を【11/30トーク】として
【1.お名前 2.人数 3.一般or学生 4.懇親会の参加の有無】
      を明記の上、お申し込みください。

【予告】9/15 第11回 文芸共和国の会シンポ「技術と人間の協働」

※ 公費申請用プログラム

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※9/14(金)19:00~小倉Gallery Soapにて、シンポに登壇いただく秋吉康晴さんとメディアアーティストの城一裕さんのトークセッションを開催します。詳しくは以下のFBページをご覧ください。

www.facebook.com

 ※9/15 18:30よりシンポ会場近辺で懇親会を開催します。一般4,000円、学生2,000円以下(人数次第)を見込んでいます。参加希望者は8月末日までに逆巻(vortexsitone@gmail.com)までお知らせください。

 

 ※文芸共和国の会メーリングリスト登録希望者は、逆巻(vortexsitone@gmaiil.com)まで「氏名」と「専門 or 関心領域」を明記の上、ご一報ください。本会の趣意に賛同いただける方であれば、資格は不問です。

 

 

 

第11回文芸共和国の会シンポジウム

「技術と人間の協働、

ユートピアでもディストピアでもない、生成するこの世界が、」

 

日時: 9月15日(土) 12:00~18:00

場所: 西南学院大学 西南コミュニティセンター 二階

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    (〒814-0002 福岡県福岡市早良区西新6丁目2−92 ℡ 092-823-3952)

    地下鉄空港線西新駅からの経路案内→Google マップ

   

    誰でも参加自由/無料/途中入退場自由

 

 演者: 佐藤 正則 (ロシア思想)

     磯野 真穂 (医療人類学)

     秋吉 康晴 (聴覚文化論) 

 

                 ―各発表の概要―

 

ロシア革命とポスト・ヒューマンの思想

                                    佐藤 正則

 

1917年のロシア革命は世界で初めての社会主義社会建設の試みでした。しかし、ロシア革命で権力を奪取したボリシェヴィキがめざしたものは、新たな政治・経済体制にはとどまりません。彼らは、人間そのものを精神的にも肉体的にも、これまでとはまったく異なるものにつくりかえようとしていました。そうした新しい人間創造の理念や実験を、短命に終わった非現実的で荒唐無稽なユートピア的夢想としてかたづけることも、スターリン主義体制というディストピアの予兆とみなすことも、おそらく適切ではないでしょう。ボリシェヴィキは、20世紀初頭の西欧における新たな哲学・科学思想の登場と機械生産の急速な発展を背景として、西欧近代に代わる新たな世界観と人間観を構築しようとしていました。ボリシェヴィキの思想や実験は、21世紀の社会が直面する人間と科学技術をめぐる深刻な問題や、現代の最新哲学・思想のある重要な部分を先取りしています。そこではコンピューターによって可能になる社会全体の自動統御システム、サイボーグを彷彿させる機械と人間との融合、今日の生物工学さながらの人間身体の生物学的改造が探求されています。さらには、人間と非人間とを同一の原理で把握する新たな世界観・人間観が構築されており、それらは、現在のポスト・ヒューマン的思想、思弁的実在論や新実在論すら思いおこさせます。およそ100年前のロシアの人々が21世紀に生きる私たちと同じ精神的課題を共有している、と言ってもよいのかもしれません。こうした革命期ロシアのボリシェヴィキの新しい人間創造の理念と実験を見ることによって、現代の私達にとって、技術と人間との関係を問いなおすための新たな知見が得られるのではないでしょうか。具体的には、十月革命以降1930年代初頭にかけてのボリシェヴィキや当時の前衛的芸術家、科学・技術者たちによる、新しい人間創造の理念と実験のいくつかをとりあげる予定です。

 

 

科学を身に付ける――食と医療の現場から

                                    磯野 真穂

 

 イギリスの社会学者であるニコラス・ローズは、医学の射程が、ふれて感じることのできる「モル的」な身体から、より細分化された分子的な自己に及んでいると指摘する。また私たちが誰であるかというアイデンティティに関わる問いも、程度の差はあれ生物学の言葉に根差しており、その意味で現代に住まう私たちはますます自分の生物的身体に依拠した「ソーマ的自己」を生きると述べる。

 ローズのいうように、20世紀後半から医学は大きな変容を遂げている。その変容とは、いまここで苦しむ人を救う医学から、リスクを算出し、ハイリスク群に介入する予防的な医学の誕生である。確率統計論に基づきリスクが算出されるようになったことで、すべての人間が医学のまなざしの配下に入った。そしてその介入のあり方は、3歳の時点で30年近く先の生活習慣病を予想するといった形で、いまと未来を特異な形で結び付ける。また人がモル的な身体から、分子レベルにまで分解されることによって、リスクとして提示される要因も同じくより細分化されている。

 さてこのような状況を踏まえて本発表でとりあげるのは、これまで発表者が行ってきた摂食障害脳卒中を予防するための抗血栓療法、そして糖質制限のフィールドワークを通じて得られた人々の語りとふるまいである。分子的な自己、リスク、エビデンスといった存在は、きわめて抽象的であるため、実生活においてその存在を確認したり、体感したりすることはほぼ不可能である。しかしそれでもなお私たちは、このような存在を現実のものとし、その影響をときに「実感」しながら生きる。本発表では、栄養素やエビデンスといった、具体的事物を抽象化して作られた概念が個々人の生のなかで、いかに具現化され、息づくのかをみてゆきたい。

 

 

〈しゃべる機械〉の考古学

                                    秋吉 康晴

 

 最近、コンピュータがますます「おしゃべり」になっているように感じられる。比喩ではなく文字どおりの意味で、人間のように発話し、ときには歌うコンピュータがいつのまにか日常の一部になりつつあるようだ。外出先で電車やバスに乗れば、乗務員の代わりにアナウンスをおこなうアプリケーションの音声が耳に入ってくるし、自宅に帰れば、家電製品から指示の言葉が飛んでくる。また、コンピュータ音楽の分野では歌唱を合成するアプリケーションがすでに普及しており、ライヴ・コンサートを開く「ヴァーチャル・アイドル」が活躍している。さらには、スマートフォンを手にすれば、人工知能のアプリケーションといつでもどこでも対話を楽しむことができる、といった具合だ。こうした例をあげれば枚挙にいとまがなく、コンピュータによってつくられた人造の音声を耳にしない日はないと言っても過言ではない。

 人間の代わりに話し、歌う機械が社会に蔓延したら、どうなるのか。ひとびとのあいだからは、期待と不安が入り混じったさまざまな声が聞こえてくるが、そうした声に応じて未来を予測することは報告者の能力を超えているので、優秀なSF作家たち(もしくはSF作家まがいの科学者たち)に任せておきたい。そのかわりに本報告では過去を振り返りながら、〈しゃべる機械〉がいかなる欲望のもとで生まれたのかを問うてみたい。

 人工的に音声を模倣するという試みは、実のところコンピュータの着想よりも古く、電話や蓄音機といった音響技術の発明者たちにもすでにみてとることができる。電話を発明したベル、そして蓄音機を発明したエジソンが抱いていたのは、人間の心身とわかちがたく結びついていた声という現象を機械の領域に開放しようとする強烈な欲望であった。本報告ではとくに1877年前後のエジソン周辺の試みに注目しながら、人間と機械の境界を再定義する実践として彼らの活動を読み解いてみたい。そうすることで、本シンポジウムの参加者が〈しゃべる機械〉たちと今後どのように関わりたいかを――憶測や予測ではなく、あくまでも欲望のレベルで――問うきっかけが生まれることを期待する。

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文芸共和国の会は、学術的出会いの場を広島以西の地方に、2016年2月に8名の有志の協賛により立ちあげられた会です。これまで広島、山口、北九州、博多で順次開催されてきました。

しかし「会」といっても、馴染みの仲間が集まる内輪の「相互扶助の会合」ではなく、もっぱら今まで会ったことのない知や人と「出会う」ための会です。地元の方を中心に、学者/市井の隔てなく、共に学術のおもしろさや価値をわかちあいます。難しくてよくわからないけどおもしろい、というところから学術への関心は始まります。無知も失敗もすべて許容しつつ、学術への関心とその場で投げかけられる問いを一緒に育てていく場です。

第11回の今回は、AIの進化やシンギュラリティをぼーっと夢見るユートピア、あるいは人間の失職・退化の恐れを拱手傍観するディストピアのような極端で近寄りがたい発想を退け、人間が生みだす技術と技術が可能にする人間の共生を、このふつうで日常的な現実世界の絶えざる生成にとって必須不可欠な要素として多角的に問い直します。

登壇者は三人。コミュニズムの夢が萎んだ今こそアクチュアリティを得ているもうひとつのロシア、ボリシェヴィキの科学技術と新しい人間に関する思想を研究する佐藤さん。医療現場やダイエット、糖質制限摂食障害に対し質的調査の見地からアプローチし理論の間隙を突く磯野さん。フォノグラフを始めとするエジソンの発明に人間には発声できない新しい音を創造する欲望を見る秋吉さん。

以上のように、まったくの異分野どうしの専門家を突き合わせ、そのあいだに対話の可能性をひらくのが文芸共和国の会の最大の特色です。

また、わかったふりをするのではなく相互理解を深め、問いの重みを知ることが、考える営みにとってもっとも不可欠であるという信念のもと、登壇者を含め、参加者全員で車座を組んで、三者のご発表内容をベースとして3時間の議論を行います。

あなたと出会いたい。

【予告】第10回文芸共和国の会 "ACTivation"+「アセンブリ」

7/13(金)17:30~19:30+α 小倉「大學堂」にて

「『アセンブリ』を囲んでみるアセンブリ」を開催します。ジュディス・バトラーアセンブリ』の共訳者・清水知子さんを迎えて大いに語るイベントです。参加無料/予約不要。

詳細はこちら ↓↓↓

https://vortexsitone.wixsite.com/republicofletters

 

7/14 18:30よりシンポ会場近辺で懇親会を開催します。一般4,000円、学生2,000円以下(人数次第)を見込んでいます。参加希望者は6月末日までに逆巻(vortexsitone@gmail.com)までお知らせください。

 

※文芸共和国の会メーリングリスト登録希望者は、逆巻(vortexsitone@gmail.com)まで「氏名」と「専門 or 関心領域」を明記の上、ご一報ください。本会の趣意に賛同いただける方であれば、資格は不問です。

 

※6/1 公費申請用プログラムを追加しました。以下よりDLできます。

Dropbox - ACTivationプログラム.pdf

※6/15 発表の概要を追加しました。下にキャプチャ画像を掲載しています。pdfファイルは以下よりDLできます。

Dropbox - Activationシンポ(概要).pdf

  

 第10回文芸共和国の会のご案内です。

 脚本とパフォーマンス、生政治とアート、労働とアクティヴィズムについての対話を通じ、未だ活用されざるわたしたちの行為する能力を触発するシンポジウムです。本であり、資本であり、基本である「躰(からだ)」から思考をはじめてみませんか。

 各発表50分×3本のあと、三時間の全体討議を行います。参加無料/途中入退場自由/参加資格なしです。気軽に遊びに来てください。参加することそのものがひとつのActivationです。

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 ※下記、構内略地図の32番付近

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異分野遭遇/市民参加型シンポジウム

「ACTivation アレガ ウゴキダス」

 

日時: 2018年 7月14日(土) 12:00~18:00

場所: 九州工業大学戸畑キャンパス 総合教育棟 C-1C 

 

出演: 岡裏 浩美 アメリカ演劇)

                     冷戦初期アメリカ演劇における女性のパフォーマンス

                              ――男性主体のスクリプトを超えて――

    

    清水 知子 (文化理論/メディア文化論)

                     デジタルメディア時代における生と芸術

    

         西  亮太 ポストコロニアル文学・理論)

                     連帯とエロスのゆくえ――森崎和江の労働論――

 

構成: 各50分の発表後、フロアも含めた参加者全員で3時間の対話

    (適宜休憩)

 

※参加無料/予約不要/入退場自由

 

2/17「災害」シンポ予告(+2/16小野俊太郎さん特別講座の案内)

※1/19 「災害」シンポ概要を公開しました。

※文芸共和国の会メーリングリスト参加希望者は、逆巻vortexsitone@gmail.comまで「氏名」と「専門 or 関心領域」を明記の上、ご一報ください。本会の趣意に賛同いただける方であれば、資格は不問です。

 

2/17 第9回「文芸共和国の会」と 2/16 小野俊太郎さん特別講義の告知です。

      

※シンポ概要は以下のリンクよりDLしてください。

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※公費申請用プログラムは以下のリンクよりDLしてください。

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1.異分野遭遇型/市民参加型シンポジウム「人/天/災」

    

    アイルランド文学 ✖ じゃがいも飢饉

         ゴジラ ✖ 核の太平洋

      平成ライダー ✖ 震災

 

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日時: 2/17(土)12:00~18:00 

 

場所: サテライトキャンパスひろしま 504中講義室(広島県民文化センター5階)

    アクセス - 県立広島大学ホームページ

    

     予約不要/途中入退出自由/無料

 

 

<空腹>のアイルランド――「人災」としてのジャガイモ飢饉と現代アイルランド(系)文学――

                        田多良 俊樹 (アイルランド文学)

 

平穏(パシフィック)を打ち破る怪獣たち       

                        小野 俊太郎 (文芸・文化評論家)

 

東日本大震災後の世界で戦うライダーたち                       

                        坂口 将史  (特撮・怪獣デザイン)

 

 

 

構成: 各50分の発表後、参加者全員で3時間の対話

    (適宜休憩)

 

※2/17 18:30より広島市内で懇親会を開催します。一般4,000円、学生2,000円以下(人数次第)を見込んでいます。参加希望者は2/3までに逆巻vortexsitone@gmail.comまでお知らせください。

 

 

2.県立広島大学 特別公開講義

  小野俊太郎「『となりのトトロ』を読む」

 

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日時: 2/16(金)14:00~17:00

 

場所: サテライトキャンパスひろしま 505中講義室(広島県民文化センター5階)

    アクセス - 県立広島大学ホームページ

    

    無料/予約不要

 

サテライト地図

アクセス - 県立広島大学ホームページ

11/25・26「記憶シンポ」&関連トークセッション告知

※11/23 「記憶シンポ」ハンドアウト(三村)を追加。

※11/02 記憶シンポ梗概・フライヤー、小倉&箱崎トークセッションフライヤー、ブックセンタークエスト小倉本店選書フェア情報、ブックスキューブリックイベント・選書フェア情報を追加。

※10/31 記憶シンポプログラム、懇親会予約情報を追加。

 

11/25(土)・26(日)に記憶をテーマとしたシンポジウム(無料・予約不要)を一件、これに関連したトークセッションイベント(有料・要予約)を小倉と箱崎にて一件ずつ企画しています。

特設サイト・トップページへ➡https://vortexsitone.wixsite.com/republicofletters

以下にフライヤーの画像とトークセッションの詳細へのリンクを掲載します。

  (シンポジウムの概要については、10月下旬に公表します)

特設サイトでは、各企画の概要・詳細、演者の紹介、4人の演者がセレクトした記憶をめぐる選書40冊を掲載しています。

このうち小倉でのイベントで演者を務める三村尚央さん、浜野志保さん、中村美亜さんの選書分をフィーチャーし、11/8より11月末日までブックセンター・クエスト小倉本店一階にて記憶選書フェアを開催することになりました。こちらも併せてご覧ください。

また11/26のトークセッションイベントでお世話になりますブックスキューブリック箱崎店さんが、三村さんと高橋さきのさんの選書からさらにセレクトしたミニフェアを展開予定です。どうぞよろしくお願いいたします。

みなさまの参加を首をキリンにしてお待ちしています。

                                      逆巻しとね

 

 

 ①11/25 「記憶シンポ」

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九州工業大学戸畑キャンパス 総合教育棟 北棟1階 C-1B講義室

    (正門から直進1分、最初の建物の1階、下記マップの6番

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※同日、18:30~会場周辺で懇親会を開催します。参加費は4000円(学生等2000円)。参加希望は、11月18日までに逆巻 (vortexsitone@gmail.com)にお知らせください。 領収書も用意します。

 

 

②11/26 記憶と心霊@小倉

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詳細⇒https://vortexsitone.wixsite.com/republicofletters/11-26-1

 

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③11/26 「サイボーグの記憶」@箱崎 

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詳細⇒https://vortexsitone.wixsite.com/republicofletters/11-26

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第7回「文芸共和国の会」開催のお知らせ

※9/16

 天神イムズは通常営業を予定しています。博多近辺にお住まいの方は、イムズホームページをご確認の上、お気をつけてお越しください。

ims-tenjin.jp

  

※9/15 

台風18号が接近しておりますが、天神イムズ本体が休館しない限り、9/17の会は開催します。

会場には各自の判断・責任でお気をつけてお越しください。

当日は午前10時から会場に入ることができます。

懇親会は当日の会場で参加者有志を募って行います。

 

※9/14 台風18号接近に関連して注記します。

 開催の可否は、9/17当日午前10時ごろに判断します(前日9/16にイムズビル本体が営業しないことが判明したらその時点で中止します)。

 判断の目安は、当日イムズビルが営業しているかどうか、福岡市内に暴風警報が発令されているかどうか、登壇者が会場に到着できる状況にあるかどうか、です。

 判断の結果は本HP、メール、ツイッター等で拡散します。

 イムズビルが営業している場合、当日は逆巻が会場に待機しております。

 遠方から来場を予定していた方は、予約のキャンセルをお勧めします。懇親会参加予定者に関しては別途メールで対応します。

 

※8/18 シンポジウム登壇者の梗概を公開しました。

※8/18  印象に関する問題系を整理した「印象とはなにか」(逆巻)を公開しました。 

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※梗概、ハンドアウト等順次公開していきます。

※本会メーリングリストでは、運営方針や具体的な開催の構想その他について闊達な議論が行われています。現在のところ、海外、全国津々浦々より、学者/市民、先生/学生の区別なくさまざまな方々に参加いただいております。メーリングリスト参加をご希望の方は「vortexsitoneあっとまーくgmail.com(逆巻)」までお願いします。

 

 日差しの角度とぎらつきに戦慄を覚えずにはいられないこの酷暑を、いかがサヴァイヴしてらっしゃいますでしょうか。逆巻しとねです。

 これまで二本の発表と対話を範型として順次、広島・山口・福岡で開催してきた「文芸共和国の会」ですが、今回は趣向を変えて新しい挑戦をしてみたいと思います。

 各専門領域が備える壁を壊すことなく維持しつつ対話を試みる場をつくる、というコンセプトをより先鋭化させるために、壇上を異分野遭遇の場として設定してみます。

 総合格闘技のルールが確立され、バックグラウンドの異なる選手どうしが互いに不利を被らないようするための統一ルール締結交渉がなくなって久しい昨今ですが、確固たる共通言語の存在しない学術の世界においてはそのような緊張感ある場をつくることは今でも可能です。語彙や思考回路、背負っている歴史の異なる諸学がそれぞれガラパゴス的な進化を遂げた現状は、惜しみなく学知の交換を重ねた学問の共和国(文芸共和国)や万学に通じた博覧強記礼賛の伝統からすれば堕落のようにも映ります。しかし裏を返せば、理系/文系の分断もなくスムーズに学術的交流ができていた時代には、異分野との遭遇というスリルはあまりなかったのかもしれません。専門分化が進み洗練された専門知が林立している現代だからこそ、専門を違えるグラップラーが一堂に会する不穏で胡乱な異種格闘技戦を堪能できるのではないでしょうか。

 しかし本会の醍醐味は、歴戦の勇が相まみえる試合を観客がビールとつまみを持ち込んで観戦するというところにはありません。端的に言って、これはショウではありません(殺し合いでもありませんが)。会の参加者ひとりひとりがグラップラーなのです。自分は研究者ではない、専門性とは縁がないという方もまた、ストリートファイターでありましょう。リングは壇上にはない。場全体が「白いマットのジャングル」(『タイガーマスク』)なのです。

 ただ場をリングとして形成するのは、寄る辺なき自由な意見ではなく、専門性の負荷を帯びた議論であることを忘れてはならないでしょう。専門性に根差した議論をたたき台としていない対話は、空論に過ぎません。これは昨今の専門性軽視の風潮に対する批判でもあります。専門知をなくせば互換可能な情報しか残らない。対話の土台となるのは、専門家集団を背景にした専門知です。ここを理解して初めて、非専門家を交えた対話は始まります。

 リングの足場となるのは、学びの価値に対する無条件の信頼です。教える/学ぶという非対称性に基づいた学知の伝達というモデルには限界があります。教える立場にいる専門家から学ぶという構図は、えてして学ぶ側が与えられた知識を鵜呑みにし、批判の契機を見失うという帰結を生むことになります。しかしそのように役割を割り振ることなく、すべての人が学びの価値を共有すれば、社会生活におけるさまざまな局面において、環境に適応しつつも完全に適応できない部分を誰もが取り逃がすことなく批判することができるようになるでしょう。学びは学校の敷地を越えて社会で共有すべき価値です。このような理念が社会に浸透して初めて専門知は存在意義を確固たるものとし、また非専門家も対話に加わることができる。学びの価値を共有し、対話を通じて最小限の合意を形成し、各自の立場の違いやわからなさを認識し、そしてその差異から生まれる予期せぬつながりを模索する場を目指します。

 人間関係やしがらみ、空気といった、わたしたちに与えられ、わたしたちが依存しているさまざまな関係性は、生活を安定的に保つ上で必要なものです。しかし好循環ばかりが続くわけではない。時にはこのわかりきった関係性に楔を打ち込み、流れを変えることも必要になるでしょう。そのためにはわたしたちを等しく貫いている関係性にわからなさや違和感を感じなければならない。しかし違和感はいつも、自分とは別の存在との差異としてしか理解できません。換言すれば、違和感はひとりぼっちでは感じることができない。差異は、同じ関係性のなかに巻きこまれている(人間とは限らない)さまざまな存在を、ちょっとよくわからない、違う時間を生きている、自分とは異質の存在として認める出会いがもたらすのです。当たり前の関係性から身を引きはがし、異質なものに出会うところに学びの本質はあります。畢竟、なにかに出会わなければならない以上、まったくのひとりでは学ぶことはできないのです。

 本会は通常の意味での学会でも研究会でもない、学びの享楽と価値を信じる人たちのための学術的な出会いの場です。上述したような意味でなにかに出会えるかどうかは、参加者の学びに対する信頼にかかっていると思います。このたびの異分野格闘イベントがさらなる出会いを生みだすよう、ささやかながらリング設営のお手伝いをさせていただきます。

 というわけで、現代社会を蹂躙する「印象操作」だの「第一印象」だのにドロップキックを喰らわせるシンポジウムがこちらです。 

 

              印す - 象る - 消えてゆく

    ――英文学/メディア論/哲学から印象へ――

 

             シンポジスト: 石井 有希子 (英文学)

                     太田 純貴 (メディア論)

                     宮野 真生子 (日本哲学)

             

                  参加自由/入場無料 

       

       日時: 2017年 9月17日(日) 12:00~17:00

       会場: 九州工業大学サテライト福岡天神

          (〒810-0001 福岡市中央区天神1丁目7番11号イムズ11F)

 

※各登壇者の発表の方向性・問題設定を示す梗概を集めたものです。ご高覧ください。

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※ 印象に関する問題系を整理したものです。当日は冒頭、5~10分程度でまとめます。ハードコピーの配布はしません。(逆巻)

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※同日、18:00~天神周辺で懇親会を開催します。参加費は4000円程度。参加希望は、9月3日までに逆巻 (vortexsitone@gmail.com)にお知らせください。 領収書も用意しております。