文芸共和国の会

考えるためのトポス

第4回「文芸共和国の会」のご案内

※岡崎佑香さんのご発表の梗概を追記しました(10/19)。

※ポスターをアップしました(10/8)。dropbox画面右上よりダウンロードできます。ご自由にお使いください。

www.dropbox.com

 

 本会はそれぞれ専門を異にする研究者どうしが専門の垣根を維持したまま対話すると同時に、アカデミアの閉域を超えたところで市民どうし人文知を共有していくことを目指す場です。学者だけの場所である学会・研究会でも、学者が市民に対し講義をする市民講座でもない、学者と市民が共に同じフロアにおいて思考するアゴラ(広場)です。会員制ではありませんので出入り自由です。すべて無料です。ふるってご参加ください(※本会の基本理念に関しては下のリンクを参照してください)

www.dropbox.com

 

※ポスター、梗概、ハンドアウト等順次公開していきます。

※本会メーリングリストでは、運営方針や具体的な開催の構想その他について闊達な議論が行われています。現在のところ、海外、全国津々浦々より、学者/市民、先生/学生の区別なくさまざまな方々に参加いただいております。メーリングリスト参加をご希望の方は「vortexsitoneあっとまーくgmail.com(逆巻)」までお願いします。

 

第四回「文芸共和国の会」を以下の日時・場所で開催します。 

 

日時:平成28年 11月19日(土)13:00~18:00

場所:北九州市立大学 本館 D-203

所在地 〒802-8577 福岡県北九州市小倉南区北方四丁目2番1号 

www.kitakyu-u.ac.jp

 

※当日、駐車スペースを10台分確保しております。お車でお越しの方は、前日までに「vortexsitoneあっとまーくgmail.com」(逆巻)まで「駐車希望」の旨銘記し、氏名・連絡先も併せてご連絡ください。当イベントに関係のない方のご利用は受け付けません。

 

 

 (13:00~10分ほど趣旨説明)

 

① 13:10~15:10

佐藤 啓介 (宗教哲学

    "死者倫理は可能なのか?

      ――死んだ人を敬うべき理由と条件を考える――"

 

レヴィナスデリダら、大陸系哲学の他者論を通じて「他者としての死者に対する倫理」という主題は、近年では広く共有されるようになっていると思われる。だが、そもそも死者を本当に他者として尊重しなければいけないのか、という点についてはまだまだ考える余地のある問題ではないかと思われる。本発表では、死者をどのように(またどの程度まで)倫理的配慮の対象として位置づけられるかという点に問題を絞り、昨今の分析系の議論や宗教学の知見を手かがりに考えたい。とりわけ、その際に主題となるのが、倫理的配慮の対象としての死者の存在論的地位であり、その考察を一つの突破口としてみる予定である。

※参考文献:福間聡「死者に鞭打つ」ことは可能か――死者に対する危害に関する一考察」

ci.nii.ac.jp

 

②15:30~17:30

岡崎 佑香 (フェミニズム批評)

     "ヘーゲルアンティゴネー論とフェミニズム"

 ヘーゲルが『精神現象学』精神章で展開する『アンティゴネー』論は、フェミニズム批評――有名なところでは、セイラ・ベンハビブ、リュス・イリガライ、パトリシア・ミルズ、ジュディス・バトラーによるものが挙げられよう[1]――において、度々論じられている。

 Mary Rawlinson [2]によれば、これらのフェミニズム批評に共通してみられる特徴は、ヘーゲルの捉え損なったアンティゴネーの政治的意義を各々の観点から再評価するという点であり、こうしたアンティゴネー再評価のなかでその意義が見逃され、ときにアンティゴネーを再評価するために不当に過小評価されているのは、ポリネイケスのもう一人の妹でありアンティゴネーの妹でもあるイスメネーである。こうした背景をふまえ、イスメネーや、イスメネーとアンティゴネーの姉妹関係に焦点化するいくつかの先行研究を参照しながら、『アンティゴネー』においてイスメネーとアンティゴネーがどのように描かれているかを確認する。

 以上をふまえ本発表で考察したいのは、当該章でヘーゲルが『アンティゴネー』を参照しながら論じる、「女性」および「姉妹」概念についてである。従来の研究においては、ヘーゲルが「女性」や「姉妹」について論じるとき、それは暗にアンティゴネーのことを意味するということが前提とされてきた。これに対して本発表は、ヘーゲルが「女性」あるいは「姉妹」というとき、それが意味するのはアンティゴネーとイスメネーが念頭に置かれていることを論じ、ヘーゲルの「女性」/「姉妹」論の新たな解釈をひらくことを目指したい。

 

[1] ベンハビブ、ミルズ、バトラーの批評については明石憲昭(「ヘーゲルジェンダー論をどう読むか?――ヘーゲルの男女観に関する一考察」、木本喜美子・貴堂嘉之編『ジェンダーと社会――男性史・軍隊・セクシュアリティ』、2010年)を見よ。

[2] Mary C. Rawlinson. (2014). “Beyond Antigone: Ismene, Gender, and the Right of Life.” In The Return of Antigone.

 

 

同日18:30より小倉北区内にて懇親会を開催する予定です。会費は5千円程度の予定です。どなたでも参加できます。

出席希望は「vortexsitoneあっとまーくgmail.com」、逆巻までemailで通知願います。
〆切は11月5日(土)。
準備の都合上、事前の出席通知をお願いいたします。
領収書も用意しております。

 

 今回で「文芸共和国の会」も第四回を数えることになりました。これで福岡・山口・広島と三県を一巡し、また福岡に戻ってまいりました。今回は北九州市立大学です。市民のみなさんにとっては、もしかしたらモノレールの競馬場前駅の近くにある大学と言ったほうがわかりやすいかもしれません。何を隠そうわたし自身その昔、ウィークデイは大学に、週末は競馬場に、と連日「授業」を受けておりました。高い授業料ではありましたが、懐かしい思い出です。

 土曜日はなるほど、中央競馬の開催日であり、きっとみなさん、翌日のGⅠレースを睨みつつ、思考力をフルに発揮されることでしょう。しかし、馬券は今やネットでも買えるではありませんか。競馬場に向かう足を大学のほうに向けていただければ、競馬とは異なる思考の世界が広がっています。一度、人文学の専門知に触れて、競馬とはまた一味違った思考力を働かせて、みんなで対話してみませんか。

 競馬場のすぐ隣で行われるこのたびの会が、市民の方々にとって人文社会系の知を身近に感じるよいきっかけとなることを期待しています。もちろん、学者のみなさん、生徒/学生/院生のみなさんもどなたであれ歓迎します。

                                   (文責: 逆巻 しとね)

 

 

 

 

第三回文芸共和国の会@広島レヴュー

 ※読書会の要約集を公開しました(10/16)

 

 世話人を務めております、逆巻しとねです。

 9/11(日)に県立広島大学サテライトキャンパスで行われた第三回文芸共和国の会について報告します。

 広島カープ25年ぶりのリーグ優勝が決定した翌日ということもあり、広島の街はどこも人波と車列でごったがえしていました。そんな中、遠方よりお越しいただきましたみなさまにまず感謝申し上げます。初めての参加者数名からとても前向きな感想をいただきました。本会も福岡・山口・広島と一巡して、ようやく少しはスタイルが固まってきたのかもしれません。今後も継続は力なりの精神で、微調整を加えながら年四回の開催を維持して参りたいと思います。

 はじめに、現代アメリカ文学がご専門の栗原武士さんに、アメリカ合衆国における労働者階級研究に関するご発表をしていただきました。先行研究を総合的に扱いながらも丁寧に分類していただいたので、とてもわかりやすかったです。また、発表者自身の来歴から語り起こした後に論を展開する、という構成にも感銘を受けました。研究と生がオーバーラップして、聴衆は自分の問題として引き受けることができたのではないでしょうか。そのためか、積極的な意義づけが行われるマルクス主義的な労働者階級とは似て非なる「非」中産階級として意識にのぼる労働者のアイデンティティ、イギリスの絵画における労働者の表象、アイルランド系アメリカ人の貧困の表象、生涯変わらないインドのカーストと階級の可変性など、さまざまな議論が活発に交わされました。映像の使用や書籍展示など随所に関心を惹く工夫があった点も今後運営していくうえで参考になるでしょう。わたし自身、ファシリテーターを務めるのは二回目でしたが、みなさんのご協力もあり自由に発言できる雰囲気があったように思います。

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 次にトマス・ラカーの著書_The Work of the Dead_をテクストに読書会を行いました。コーディネーターを田多良俊樹さんにお願いし、担当者が各自レジュメを作製し、口頭で発表するという形式をとりました。しかしなにぶん本文が500ページを超える大著で、これを二時間半ほどのあいだに終えることは難しく、議論をする時間も確保することができませんでした。これはひとえに選書したわたしの責任です。今後、読書会を開催する際には、課題図書の選定から慎重に行い、また形式についても再検討が必要であると思われます。しかしながら、各自の発表方法・レジュメの作製方法が実に個性的で、バラエティに富んでいたというのは意外な発見でした。性格が出るものなのですね。

  読書会の要約集をdropbox経由で公開します。

www.dropbox.com

 

 以下に栗原さんのレポートを公開します。

 

 

         アメリカ労働者階級研究のいま

     ――その歴史的経緯と将来的展望――
                      文責: 栗原武士

【発表の概要】
 本発表では1990年代に産声をあげた一群の労働者階級研究、John RussoとSherry Lee Linkonのいう「新労働者階級研究」(the new working-class studies) について、その特色と主に文学研究における実践に重きを置いて解説を行った。前段としてそれ以前の労働者階級についての諸研究の動向をまとめることで、新労働者階級研究が、従来の労働者階級研究における反省をふまえ、新たな特色を持っていることを示すことができた。いささか乱暴なまとめ方をするならば、新労働者階級研究は、労働者階級の人々の労働、政治的闘争のみならず、日常生活における権力関係に注目し、生活、言語、労働者階級の視点などに階級がどのように作用するのかを問う研究領域だといえるだろう。つまり、労働者階級という概念を包括的に理解するためには労働 (の場) や収入を分析するだけでは不十分であり、労働者階級の人々の職場以外での生活様式、つまり彼らのもつ固有の文化にも目配りをすることが必要なのである。
 そのような特色を持つ新労働者階級研究では、労働者階級の包括的理解のための重要な手法のひとつとして、様々なジャンル・メディアにおける労働者階級表象に着目する研究の重要性が指摘されている。本発表ではこのことに鑑み、1970-80年代の白人男性労働者の経済的・精神的苦境を描いたRaymond CarverとRussell Banksの諸作品に触れ、階級という概念が彼らの男性性不安・白人性不安にどのように関連しているかを考察した。

 

【発表を終えて】
 発表者は現代アメリカ文学を専門としているが、各参加者の専門知の共有をめざす「文芸共和国の会」という場の特色を生かすため、発表では新労働者階級研究におけるさまざまな文献の紹介を意識的に行った。オーディエンスの参考のために、研究会場では関連書籍の展示も行った。実際に本を手に取って目次に目を通すだけでも、書籍の内容を大まかに理解していただけたのではないかと思う。今後も可能な範囲で (書籍の運搬は少し骨が折れた) このような試みが続けられるとよいのではないか。
 本発表の準備のために様々な資料と文献にあたったが、発表者自身まだまだ理解が浅い点も数多くある。労働者階級文学作品が提示する労働者階級特有の日常的経験とセンチメントをどのように言語化するかという問題を、今後も継続して考えていきたい。

第三回 「文芸共和国の会」開催のお知らせ

第三回「文芸共和国の会」を以下の日時・場所で開催します。

※梗概、ハンドアウト等順次公開していきます。

※本会メーリングリストでは、運営方針や具体的な開催の構想その他について闊達な議論が行われています。現在のところ、海外、全国津々浦々より、学者/市民、先生/学生の区別なくさまざまな方々に参加いただいております。メーリングリスト参加をご希望の方は「vortexsitoneあっとまーくgmail.com(逆巻)」までお願いします。

 

※下のリンクよりdropbox経由でポスターをDLできます。自由にお使いください。

www.dropbox.com

日時:平成28年 9月11日(日曜日)13:00~18:00
場所:サテライトキャンパスひろしま
http://www.pu-hiroshima.ac.jp/site/satellite/accessmap.html

 

googleマップで検索すると、県立広島大学広島キャンパス(宇品)の方に誘導されてしまうのでご注意ください。
googleマップを利用される方は、以下の住所を直接入力された方がベターです。

〒730-0051 広島市中区大手町1丁目5-3

 

 

13:00~14:30 

 

1. 発表及び討論

「アメリカ労働者階級研究のいま

        ――その歴史的経緯と将来的展望」

       発表者: 栗原 武士 (県立広島大学

 

 ヨーロッパ式の階級社会と決別して建設されたアメリカ社会において、階級という概念は伝統的に「見えないもの」、あるいは「見たくないもの」として存在してきたように思われます。しかしながら、1990年代以降、ますます進む経済のグローバル化と富の集中という社会的事象の中で、アメリカにおいても経済格差を中心的関心とする学術活動が少しずつ活発化してきました。
 本発表ではそのような動きの基調をなすアメリカ労働者階級研究に焦点を当て、その歴史的経緯を紹介した上で、発表者の専門分野である現代アメリカ文学レイモンド・カーヴァーラッセル・バンクス、リチャード・フォード等を予定しています)における労働者のイメージについて分析を加えます。また質疑応答では、労働者階級研究の有効性とその将来的展望について、フロアの皆さんと一緒に考えていきたいと思います。

                            (文責: 栗原武士)

 

14:50~17:40

 

2. 読書会 

課題図書: Thomas Laqueur  

The Work of the Dead: A Cultural History of Mortal Remains (Princeton UP: 2015) 

   コーディネーター: 田多良俊樹(安田女子大学

アマゾンへのリンク→https://www.amazon.co.jp/Work-Dead-Cultural-History-Remains-ebook/dp/B014EE0STK/ref=sr_1_2?s=digital-text&ie=UTF8&qid=1467857114&sr=1-2

 

※課題図書の内容・問題設定・疑問点をコーディネーター及び各セクションの担当者による報告によって共有したのち、これをたたき台とし、死者、及びその周辺をテーマに自由討論したいと考えています。原書が読めない方でも問題を共有し、議論に参加できるよう配慮しますので、お気軽にどうぞ。

 

 

※18:30~ 懇親会 鉄ぱん屋 弁兵衛 八丁堀店

www.benbe.jp

会費は5千円程度の予定です。
出席希望は「vortexsitoneあっとまーくgmail.com」逆巻までemailで通知願います。
〆切は8月31日(土)。
準備の都合上、事前の出席通知をお願いいたします。
領収書も用意しております。

 

今回で「文芸共和国の会」も第三回を数えることになりました。これで福岡・山口・広島と三県を一巡することになります。第一回は工業大学、第二回は工業高専、そして第三回は広島市内の一角にあるサテライトキャンパスでの開催です。まさしく市井に根差した会場ですね。

高等教育・研究機関の多くは広大な敷地を必要とするため、地価の安い山手のほうに位置している場合がほとんどです。そのため、少し交通の便が悪かったり、一般市民には縁遠い場所だったりすることもあるでしょう。しかしあまり知られていないことなのかもしれませんが、多くの大学が街の中心部にサテライトキャンパスを所有しています。アクセスが良く街に溶け込んだ立地を活かして、学生の教育に利用したり、市民講座を開いたり、学会を開催したりしています。

広島市内のど真ん中で開催されるこのたびの会が、市民の方々にとって人文社会系の知を身近に感じるよいきっかけとなることを期待しています。もちろん、学者のみなさん、院生のみなさんも、どなたであれ歓迎します。

 

本会はそれぞれ専門を異にする研究者どうしが専門の垣根を維持したまま対話すると同時に、アカデミアの閉域を超えたところで市民どうし人文知を共有していくことを目指す場です。学者だけの場所である学会・研究会でも、学者が市民に対し講義をする市民講座でもない、学者と市民が共に同じフロアにおいて思考するアゴラ(広場)です。会員制ではありませんので出入り自由です。すべて無料です。ふるってご参加ください(※本会の基本理念に関しては下のリンクを参照してください)。

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                                文責: 逆巻しとね

今年度の開催予定

今年度の開催日時・場所が決まりましたので、お知らせします(発表者は決定済みです)。

詳細は順次、公開してまいります。

 

第三回 2016年 9月11日(日)13:00~ 発表一件・読書会一件

republicofletters.hatenadiary.jp

   

第四回 2016年 11月19日(土)13:00~ 発表二件

   (福岡県 北九州市立大学 新館 D-203)

 

第五回 2017年 2月25日(土)13:00~ 発表二件

   (山口県 徳山工業高専

セクシズムを逆撫でに読むための文献リスト

 学生に対してセクシスト的発言をためらいなくする先生がいる、あるいは女性が社会に出ることは危険であるという趣旨の卒論を書く学生がいる、という話題が第二回「文芸共和国の会」終了後の懇親会において出ました。
 学生、市民、ジェンダーセクシュアリティ系の領域を専門とはしない研究者のあいだで、フェミニズムに関連する最低限の知見を共有することは、喫緊の課題といえるでしょう。
 依然として潜在・顕在する家父長的な世界を所与として生きざるを得ない現状に鑑み、女性がフェミニズムの知見に触れることはとても重要です。しかし男性もまた、家父長的な暴力を内的に反省し、規範の刷りこみを受けているということを自覚し続ける必要性から、フェミニズムの成果を吸収しなければならない。セクシュアリティ性自認の多様性(LGBTQ)を出発点とする際にも、男社会や家父長制という素朴な暴力を無視することはできないでしょう。

 フェミニズムの議論に対する批判はさまざまな角度から可能であると思います。しかしなによりもまずは知らないと話になりません。セクシズムは無知と素朴さに訴えるからです。フェミニズムに無知なまま、同程度に無知なセクシストの被害に遭ったり、疑いを持つことなく所与の規範に染まっていったりする現状に抗う必要があると思います。

 そこで本会ではメーリングリスト参加ご希望の方はvortexsitone[あっとまーく]gmail.comまで)を介して、日本語で読めるフェミニズムの基本文献を募りました。領域、時代、地域は多岐にわたります。選書に偏りはありますし、さまざまな欠落があることと思います。しかしこれがセクシズムについてともに考え始めるための一助となれば幸いです。

※(あくまでも参考程度ですが)専門性の見地からから判断して「難度」(院生/大学生/高校生)を設定しています。

 

www.dropbox.com

 

第二回「文芸共和国の会」レヴュー

 

 5月21日(土)に開催した第二回「文芸共和国の会」@徳山工業高等専門学校

第二回 「文芸共和国の会」開催のお知らせ - 文芸共和国の会)について報告します。まずわたし逆巻しとねの個人的な感想を、次に発表者お二方の感想を掲載します。ご高覧ください。

 

 学会や運動会などさまざまな行事が重なる時期ということもあり、参加者は少なかったように思います。それでもそれを補って余りある活発な議論が行われたのではないでしょうか。わたし自身、ファシリテーターとしてどの程度貢献できたかは心もとないところです。しかしみなさんのご協力のもと、懇親会も含めて大変活発で楽しい会になりました(そのためか、今回は、会の模様を伝える写真を撮影するのを失念しておりました)。

 高橋愛さんには、ハーマン・メルヴィルの長編小説群を中心に男らしさについて論じていただきました。男性向けの作品を書いていると自認していたメルヴィルですが、どうも作品のなかに出てくる登場人物に規範的といえる男性は見当たらない。19世紀ミドルクラスが規範としていた男らしさを、対子ども、対女性、身体性の観点から整理したうえで、『タイピー』、『白鯨』、『ピエール』などの作品に出てくる男性像の奇妙さを分析していただきました。質疑応答では、規範性と抵抗の問題、プロステーシス、陸と海の規範の二重性、出版事情、ジェンダーセクシュアリティの関係、テクノロジーとの関連などさまざまな意見が交換されました。高橋愛さん自身が書いてられるように、「作家論とはなにか」という大きな問題に踏み込めなかったのはわたしのファシリテーターとしての力量のなさです。今後の課題としたいと思います。

 高橋さきのさんには翻訳論についてのご発表と『研究社大和英辞典』を利用した訳し分け方に関するワークショップをしていただきました。休憩時間との境目がなくなるほど、対話の途切れることのない大変刺激的なご発表でした。ワークショップでは、そのまま英語教育その他の現場に採用したり、作業の主体にあわせていろいろ応用したりできる、用例カードを用いた訳し分けをグループワークで実践しました。実際にやってみるとよくわかるのですが、意見が割れる箇所がかならず出てくる。重要なのは答えを見つけることではなく、意見が割れる分類不可能と思われるような箇所をきっかけにして言葉の運用について議論し、考え直すことでしょう。昨今流行りのアクティヴラーニングの文脈においても「使える」実践例だという点も強調しておきたい部分です。

 ※高橋さきのさんのご発表内容の一部は、最新の共著『できる翻訳者になるために プロフェッショナル4人が本気で教える 翻訳のレッスン』講談社)に収録されています。他の著者お三方の論や対談も含め、翻訳、ひいては言語そのものを基本から、そして根源的に再考する上でよい手引きとなると思います。

 

 さて、次回の第三回「文芸共和国の会」は

日時:平成28年9月11日(日曜日)13:00~18:00
場所:サテライトキャンパスひろしま
http://www.pu-hiroshima.ac.jp/site/satellite/accessmap.html

で行います。

 詳細はまだ詰まっていませんが、すでに発表者はひとり決定しております。

 文学系以外を専門とする発表者を募集中です(本会に会員は存在しませんので気兼ねなく)。読書会で代替する案も並行して考えております。詳細が決まり次第、このHP上で公表します。

 次々回(第四回)は、11月上旬から中旬の週末のいずれかにおいて、福岡県の九州工業大学戸畑キャンパスで開催する予定です。二名の発表希望者を広く募っております。

 

※本会の理念・概要等については

republicofletters.hatenadiary.jp

をご覧ください。

 本会メーリングリストでは、運営方針や具体的な開催の構想その他について闊達な議論が行われています。現在のところ、海外、全国津々浦々より、学者/市民、先生/学生の区別なくさまざまな方々に参加いただいております。メーリングリスト参加をご希望の方は「vortexsitoneあっとまーくgmail.com(逆巻)」までお願いします。

 

以下、発表者ご本人の感想を掲載します。

                                  文責:逆巻しとね

 

                第2回研究会を終えて

                                       高橋愛

 まずは参加者の皆さん、新年度開始の慌ただしさもまだ残るなか(近年の教育機関をめぐる状況を鑑みると、ゆとりのある時期はもはやないのかもしれませんが…)、アクセスが良いとは言いがたい会場までお越しくださり、ありがとうございました。
 1つ目のセッションにおいて、「ハーマン・メルヴィルの小説における『男らしさ』からの逸脱」と題し、メルヴィルの散文作品における「男らしさ」の表象について発表をいたしました。学位論文を圧縮したために丁寧な議論ができていない部分が多々あったこと、さらに、持論展開型の発表であったことから、私の発表は、専門家どうし、あるいは、専門家と市井の対話を重視しようという「文芸共和国の会」の趣旨にはそぐわないものであったと思います。そのような発表であったにもかかわらず、ファシリテーターの逆巻さんはじめ参加者の皆さんからは、様々な質問や意見をいただき、建設的な議論をしていただきました。討論では、メルヴィルが抵抗や逸脱を試みたとする「男らしさ」の規範をテクストの外部から読みこもうとしているという指摘を複数の方から受けました。こうした指摘により、自分のテクスト解釈の偏り、あるいは、論者としての自分の「欲望」と向き合い、テクストを読む際に取るべき姿勢を見直すことができたと感じています。
 本セッションに関して悔やまれる点を述べるとすれば、作家論の陥穽──作家の「成長」や「進化」を前提としてしまう傾向──についての議論ができなかったことです。何を論じれば作家論になるのか──この問いは、もとの論文をまとめている段階から私の中にあり、結局は答えを見出しきれずにいるものです。準備段階で指摘を受けていたこともあり、個人的にはこの点について議論を深めることを期待していました。発表内容について質問や意見をいただけるのは研究者として非常にありがたいことではあるのですが、むしろ今回は、作家論の陥穽にはまってしまった私の発表をとっかかりとして、作家論について参加者の皆さんの見解をうかがえたらよかったと感じています。次回以降に作家論が取り上げられた際には、この問題について提起させてもらえれば幸いです。

 

                                       高橋さきの

 参加者の共通関心である「ことば」をめぐる議論を喚起する目的で、今回は、原点に立ち返っての「翻訳とは何だろう」という提起と、少し変わったかたちでのワークショップを行いました。
 まず、前半の議論ですが、一般的には、翻訳というのは「内容を原文言語から訳文言語へと移す作業」のことだとされているわけです。でもこれでは通訳の作業と区別がつかないため「書かれた文章から書かれた文章へ」という限定が付け加えられることも多く、そうすると今度は手話が含まれなくなってしまいます。こうした事情にかんがみ、1)もっと原理的な定義が必要であり、2)「原文が生産された現場とは別の現場(翻訳現場)で訳文が生産され、その訳文は翻訳現場とは別の現場で使われる」側面に注目した定義が必須だという提起を行いました。こうした側面に着目すると、翻訳時の「原文の想定読者の目で原文を読み、訳文を作成し、想定読者の目で訳文を読む」という3つの現場の眺めを擦り合わせての訳文作成作業が可視化できますし、原文を原文の想定読者が読んだときに思い浮かべる絵/動画と、訳文を訳文の想定読者が読んだときに思い浮かべる絵/動画をなるべく一致させるといった現場知をめぐる議論もしやすくなります。
 後半は、「訳文」を具体的に検討するワークショップを行いました。といっても課題文を訳してみるという通常のものではなく、一つの文に対して、ありうる文脈を列挙してみて、その場合のありうる訳について考えてみるという方向性です。具体的には、研究社『新和英大辞典第5版』に実際に載っている訳例(対訳)をカード形式として配布し、それらを分類してみるという作業を行いました。今回着目したのは、mostの無冠詞形容詞としての用例約50個です。それを、mostの部分が原文で持っている情報が訳文でどう訳出されているかに着目して実際に分類(カードを山に分ける)する作業をグループ単位で行ったのですが、各グループともとても楽しそうで、議論も盛り上がったようです。訳例掲載にあたって強い制限のかかる辞書であっても訳例には大きなバラエティがあることを体感できたと思います。今後につながる経験になったでしょうか。

第二回 「文芸共和国の会」開催のお知らせ

第二回「文芸共和国の会」を以下の日程で開催します。

※梗概、会場の詳細、レジュメ等順次公開していきます。

 本会メーリングリストでは、運営方針や具体的な開催の構想その他について闊達な議論が行われています。現在のところ、海外、全国津々浦々より、学者/市民、先生/学生の区別なくさまざまな方々に参加いただいております。メーリングリスト参加をご希望の方は「vortexsitoneあっとまーくgmail.com(逆巻)」までお願いします。

 

※以下にポスター兼プログラムを公開します。公費利用の申請や告知に活用してください。

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日時: 2016年 5月21日(土) 13:00~17:00

 

会場: 徳山工業高等専門学校 教室・管理棟二階・大会議室

[交通アクセス] http://www.tokuyama.ac.jp/campus/areamap.html

[キャンパスマップ] http://www.tokuyama.ac.jp/facilities/index.html

 

※JR徳山駅からはバスを利用される場合は「高専」行き(終点)か「久米温泉口」行き(高専・大学下で下車)をご利用ください(「久米温泉口」方面だと軽い山登りをすることになりますので、高専」行きのほうがオススメです)。駐車場の利用もできますので、車で来られても大丈夫です。

 

会場使用料は4000円です。当日、参加者で折半します。

 

 

13:00~14:30 

1.高橋愛 (徳山工業高等専門学校

  「ハーマン・メルヴィルの小説における「男らしさ」からの逸脱」


 本発表は、主に19世紀中葉に小説家として活動していたハーマン・メルヴィル(Herman Melville 1819-1891)が、同時代のミドルクラスの白人の間に浸透していた「男らしさ」の理念に対する抵抗やそこからの逸脱をどのように描き、作家としてキャリアを積む中でその姿勢をどのように変化させているのかを考察するものである。前期の作品として『タイピー』(Typee, 1846)、『ホワイト・ジャケット』(White-Jacket, 1850)、『白鯨』(Moby-Dick, 1851)を取り上げ、メルヴィルの身体に対する関心に着目し、彼が描く「特異」な身体に規範からの逸脱がどのように現れているのかを示す。後期の『ピエール』(Pierre, 1852)、「ベニト・セレノ」(“Benito Cereno,” 1855)、『水夫ビリー・バッド』(Billy Budd, Sailor, 1924)については、男に対する男の欲望をめぐる問題に焦点を当て議論していく。

www.dropbox.com

 

 

14:50~17:00 

2.高橋さきの (翻訳家・科学技術論)

  「ことばに遊び、ことばを学ぶ

        ――『研究社大和英辞典』活用ワークショップ」

 翻訳は、原文言語で文章を分析的に読み、読み取ったロジックや意味内容を、原文の言語構造もさまざまなかたちで利用しつつ訳文として再現する作業を基本としています。そして、その際には、双方の言語を超速で往き来する、つまり脳内の各所に散らばっている原文言語と訳文言語に関わる諸領域を、閃光が光速で駆けめぐるような作業が実施されます。しかも、その間、脳内の諸領域では、複数の作業が同時進行しているわけです。
 ことばの「あいだ」を往還しながら訳文を構築していく翻訳の営みは、多種多様な辞書、先人の文例を集積したコーパス、原文の前後関係・パラグラフ、原文と関係のある文献...といった、さまざまな目に見えるものの「あいだ」で目には見えない「あやとり」を実践するプロセスだと言えるでしょうか。
 今回は、まず、長年従事してきた技術翻訳の世界をご紹介したうえで、「翻訳観のようなもの」について簡単にお話させていただきたいと思います。
 次に『研究社和英大辞典』を使ったワークショップに移ります(※現物は不要です)。目の前にある道具に死角はないかどうか、振り返るきっかけになるでしょう。道具がわかれば、道具をより上手に使うことができる。目に映っているものがどれだけちゃんと見えているでしょうか。道具の解像度が上がれば、訳文の確度も上がる。その上、ことばともっと親しくなれる。そんな体験ができる場を一緒につくりましょう。
 原著者がいて、読者がいる。その「あいだ」に翻訳者はいます。「あいだ」にある楽しさと難しさを体験してみませんか。

 

※ワークショップ関連参考資料

  1. 「辞書の向こう側:生きた用例と辞書を往き来する」 

    CA1821 - 辞書の向こう側:生きた用例と辞書を往き来する / 高橋さきの | カレントアウェアネス・ポータル

  2. 岩坂彰による紹介記事「第42回 『聞き取り、読み取り、そして発声』」

  3. 時國滋夫 編著 『プロが教える技術翻訳のスキル』 講談社

  4. 高橋さきの、深井裕美子、井口耕二、高橋聡 著 『できる翻訳者になるために プロフェッショナル4人が本気で教える翻訳のレッスン』 (講談社 2016年5月27日発売予定)  

    『翻訳のレッスン』: Buckeye the Translator

 

 

※18:00~ JR徳山駅周辺で懇親会を開きます。

 どなたもふるってご参加ください。 

会場等の詳細は当日お知らせいたします。会費は5千円程度の予定です。

出席希望は「vortexsitoneあっとまーくgmail.com」逆巻までemailで通知願います。

〆切は5月7日(土)

準備の都合上、事前の出席通知をお願いいたします。

領収書も用意しております。

 

第一回は九州工業大学という人文系学部のない大学で開催しました。おそらく九工大の創立以来、およそ100年の歴史上、初めての人文系イベントだったはずです。

第二回は山口県で開催します。会場は徳山工業高専です。人文系のイベントが高専で開催されるというのも全国的に見て珍しいことでしょう。

一般にはあまり知られていないことなのかもしれませんが、人文系学部のない理系の単科大学高専のような高等教育機関にも人文系の研究者はたくさん存在します。それどころか人文系研究者全体の比率から言えば、人文系学部・大学院の専門教育には直接携わっていない研究者がその大半を占めています。小中高の教員、非常勤講師、在野の研究者も含め、人文学の裾野は沃野ともいうべき豊穣さを湛えているのです。

本会はそれぞれ専門を異にする研究者どうしが専門の垣根を維持したまま対話すると同時に、アカデミアの閉域を超えたところで市民どうし人文知を共有していくことを目指す場です。学者だけの場所である学会・研究会でも、学者が市民に対し講義する市民講座でもない、学者と市民が共に同じフロアにおいて思考するアゴラ(広場)です。会員制ではありませんので出入り自由です。会費は無料です(会場費を除く)。ふるってご参加ください(※本会の基本理念に関しては下のリンクを参照してください)。

republicofletters.hatenadiary.jp

 

スタイルや進行に関しては未だ実験中です。今回はファシリテーターを設けて、対話のさらなる活性化を目指したいと思います。

 

9月上旬に広島市内で開催を予定している第三回の発表者をもうひとり募集しています。テーマは「労働・資本主義関連」を予定していますが、全く異なるテーマでも構いません。発表希望者は、「vortexsitoneあっとまーくgmail.com(逆巻)」までお知らせください。

 

                             文責: 逆巻しとね